バトンタッチを考える

オリンピックと同じ年に創業した当社。

トレーニングジムの窓から

1964年1月に父が税理士事務所を開業 

 1964年1月、父は天野克己税理士事務所を開業しました。ですから前回のオリンピックイヤー1964年は当社の創業年でもあります。 

 私が小学生の頃は、父は大洋錻力(ぶりき)株式会社の会計や監査の仕事をしていました。 

 家に仕事を持ち帰り、伝票と元帳をチェックしていた姿が印象に残っています。転記ミスをすると、試算表の貸方と借方の数字が合わなくなります。転記があっているかどうか、元帳と伝票に赤鉛筆で印をつけていました。 

 父はもともと軍隊で経理をしていました。「最前線で大変な思いをした人がたくさんいるが、経理は本部にあったからまだいい方だった」という話を聞いたことあります。 

 その後、父は税理士試験の勉強をはじめました。 

 税理士試験は夏に行われます。真剣に試験勉強しようとしても、子どもたちの夏休みと重なり、家庭内でいろいろな問題が起きたりし、合格するまで苦労したようでした。 

 父は試験合格後、1964年1月に税理士事務所を開業し、その年の10月にオリンピックが開催されました。 

 父は忙しそうでした。帰宅は遅くなることが増えました。さまざまな人と会食しながら仕事の話をしていたのでしょう。自分も経験してわかりましたが、人脈づくり、紹介のお礼、新しい仕事の仕掛けづくりなどをしていたのだと思います。 

  

仕事の選択、父の影響 

 私が公認会計士を目指そうと思ったのは、父の影響が大きいと思います。 

 士業であれば、自分の信念で仕事ができます。 

 組織にいると、自分の考える正しさより組織の論理が重要視されます。 

 自分の信念で仕事を選べることに魅力を感じたのは父の影響です。 

 1972年、大学2年生の1月から専門学校に通い、公認会計士の勉強を始めました。 

 東京CPA専門学院の高橋幸夫学院長は「公認会計士試験なんて簡単だ。1日10時間の勉強を1年半続ければ受かる」と言っていました。私は先生に与えられたノルマの通り、2年生の冬から4年生の夏までの1年半、毎日10時間勉強しました。 

 1973年、大学在学中に会計士2次試験に合格し、卒業後、アーサー・アンダーセンという外資系の監査事務所に入社しました。最初は監査部門に所属しましたが、3年後の1977年にタックス部門に異動しました。 

 その後、1980年、28歳で父の会計事務所に入りました。 

 高校3年生で進路を考えるとき、アーサー・アンダーセンに就職するときなど、さまざまな節目で、「いずれ父の事務所を継ぐかもしれない」という思いは常に頭のなかにありました。 

 1980年7月、6年間勤めたアーサー・アンダーセンを退職し、父の事務所に入りました。事務所は上野の昭和通り沿いの共同ビルにあり、所員は3名、10坪ほどの事務所でした。お客様がいらっしゃると折りたたみの椅子を出すという事務所でした。 

 父の事務所のクライアントは小さな規模の会社が多いと感じました。 

 同時に「ありがたい」と思いました。私がこれまで育ってきた食事代、学費などは、すべてそうした会社からいただいたものでした。私がこれまでお世話になっているお客様だと思いました。 

 1988年に事業承継をしました。 

 父の事務所に1980年に入り、1983年頃から私は新しい手を次々と打ち出しました。 

 どの会社の事業承継も同じですが、新社長が新しいことをはじめると、先代はついていけません。私は資産税に特化してやろうとしましたが、「そんなに急いでやらなくていいじゃないか」、「従来のやり方でいいんじゃないか」と言われました。 

トップの辛さを感じる 

 実質的には事業承継を行う前から、ある程度自分が経営をしているという感覚がありました。父には承認を取るくらいで、自分が思うような業務を行い、人も採用していきました。 

 逆に、引き継いて初めて気づくこともありました。自分がナンバー2のときは次々に仕事のアイデアが出るし、やりたいことが出てくるのです。 

 ですが、トップになると責任感を強く感じるようになり、アイデアが出なくなりました。 

 だからナンバー2のほうが会社の改革、改善はできますし、戦略も打てるのです。人間はきっとないものねだりなのです。ナンバー2のときには「自分だったらこうするのに」思うのですが、いざ責任ある立場になると、なかなか実行することができません。 

 2005年3月28日、父が亡くなりました。89歳でした。私が父の家に行くととても調子悪そうな顔をしていたので、救急車で病院に行きました。すると、いろいろなところが悪くなっているということでした。 

 入院し、転院し、3つ目の病院で亡くなりました。88歳まで毎日仕事をしていましたから、元気に普通の生活をしていた期間が長かったのです。ですから歳を重ね、天寿を全うしたという感じがしました。 

 私は父から「税理士という仕事」を引き継いだと思います。 

私が税理士を目指したのは父が税理士だったからです。父が税理士になる前は、近所にも親戚にも税理士はいませんでした。 

 父が税理士になったおかげで、私は税理士になったのです。